平安神宮へ夜が明けるまで

 

 

 

まずは何よりも先に綴っておきたいことがある。

 

革命の前夜だって街はやけにざわめいて
RAY/KAT-TUN

 


なんて好きな歌詞を引用したくなる、まさにそんな心地。
午前4時。京都へ向かう車内にて、大都会の夜景を眺めながら。

焦がれて祈って、ようやく手にした平安神宮へのチケット。
次の夜にはもう今の気持ちは書けない。




私は彼が耳を患ってから、ずっとずっと信じられなかった。受け止められなかった。
一人で歌う光一さんを見ても、そう、あのコウイチのような光一さんを見たって少しも信じられなかった。


あの頃の私の日記には

剛さんの音楽が、これしきで止んでしまうわけがない。
私達が、これしきで剛さんの音楽から引き離されるわけがない。


そんな言葉が並んでいる。

信じられるわけがなかった。神様なんていないの?そう何度も空に問いかけて、答えが返ってくる前に涙が零れた。泣いても泣いても理不尽だという怒りは流れてくれなかった。



あの時の私のこと、本当はもっと早く言葉にしたかった。でもどうしても手が止まって書けなかった。
ようやく今、こうして少し振り返っているけれど、それはただ時間が経って遠くからあの頃を眺めることができるようになったからで、当時の残酷な胸の痛みが変わるわけじゃない。



一つだけどうしても忘れないように書いておきたいことがある。
それはある日見た夢。

突発性難聴の治療法で近年音楽療法のようなものが注目されているらしい、と読んだその日の夢で、私はそれを受けていた。
ヘッドホンをつけられ、音楽が鳴る。
KinKi Kidsの曲。それから、剛さんの曲。
私はそれを聴く。大好きな曲を聴く。

目が覚めて絶望した。私は同じ曲をかけた。それを聴いた。泣きながら聴いた。聴こえた。


言葉にないこのメロディも
聴こえないそのメロディも


とあの時紡いだ彼は、そう、聴こえない。
私と同じように夢の中では聴けたって彼の耳には届かない。



音楽に救われた、と話す彼を私達は知っている。
生を手放そうとした彼にとって音楽の存在がどれほど大きなものだったかなんてもちろん想像もできない。

私が許せなかったのは、「彼から音楽を奪うべきじゃない」という子供じみた理由からだった。「どうして彼なの」「他の人じゃだめなの」そう何度も怒った。

私だって自慢するつもりもないけれど音楽に生かされたことがある。
そんな経験があっても私はとにかく「例え私が代われるなら今すぐ代わりたい」そう願った。
美談にするようで歯痒いが、本当に心の底からそう願っていた。


とにかく恨んだ。
突発性難聴は1分1秒でも早く治療するのがマストだ。
当時の彼はそれができなかった。アニバーサリーイヤーだからだかとてつもない量の仕事をこなし、休めず、いざ耳が悲鳴をあげてもすぐには動けなかった。

彼の周りはどうして彼の体を一番にしてくれなかったのだろう。いや、もちろんしてくれたのだろうとは思うのだけど、もう悔やんでも悔やみきれなくて。


膝が悪くて思い通りに踊れない、そう寂しそうに笑った顔も、照明が落ちている間苦しげにしかめていた顔も、知ってるよ。
だって私はあなたが好きだから。大切だから。


きっと彼の周りにも、同じように、それ以上に、彼を大切にしてくれる人がいたはずで、それでも「私だったら」って思ってしまう。
私だったら未満都市の台本もつまらないバラエティ番組の収録も全部全部蹴り飛ばして病院まで走ったのに。
そんな意味のない後悔をして、悵恨をして、馬鹿みたいに泣いていた。


わかっているのに。
誰も悪くない、って。


長いこと恨み言を並べてしまったけれど、それが事実だった。私の本当の心の中。



色々な仕事が飛んでしまった。
最高の夜になるはずだったフェス。
もちろん平安神宮での公演も。
他にもたくさんやりたいことがあったはずなのに、彼は自分が無理をすることが周りを心配させる、なんて自分を押し殺して孤独に耐えた。
そんな彼のことを抱きしめたくて、側にいなくて、祈ることしかできなかった。



だから、そんな日々を越えてきたのだから、この平安神宮/東大寺という最高の舞台で、彼の想いが、祈りが、願いが、そして音楽が、神様に届きますように。

 


もう夜が明けた。
言葉はまだ尽くせていないような気がする。
それでも一度は綴じなくては。


続きはライブが終わってから。
どんな言葉が出てくるか、今から自分でも楽しみで堪らない。
素敵な時間になりますように。