聖のこと

【ずっと下書きから動かせなかった記事。色々あった今(2019)だからこそ覚悟ができたので載せておきます。書いたのは2017年当時ですので悪しからず……】



聖のこと、それから色々、書きたくて書けなくて、今に至る。今更に至る。

誰かに向けてというより、個人的な備忘録の役割が大きい。

 

 

まず、聖のこと。

 

田中聖 容疑者 なんて信じられない報道があった当日のメモに、私はこう書いている。

 

感覚が、特に痛覚が、なくなってしまったような。

1番最初に何を思ったのか。混乱して分からなかったけれど、多分「あぁ、こう来たか」だったと思う。

感じないなんて言いながら、おそらく心は相当苦しんでいるんだと思う。でも苦しいのも辛いのも、よく分からない、感じない。

夢なのかな。

そう、夢なのかなって何度も思ってる。

 

白昼夢みたいだった。本当に。妙に光が眩しくて、音が遠くに聞こえて、何かに触っても現実味がほとんどなくて。

 

怒った。何に対してだかもう分からない。もう何年もずっと私は何かを恨んでいて、さすがに疲れた。本当は何回もこの怒りから手を離すタイミングはあったのだと思う。もう見なければよかったんだと思う。でもそれでも私は最後まで見届けたいと思った。思ってしまう。KAT-TUNのばか。なんでこんなに好きにさせるの。

 

それから、こんなことも書いていた。

 

私は世界が怖い、権力と圧力とそれから欲望が綯い交ぜられた世界が怖い。

私は人が怖い、他者の痛みを想像せず傷に平気でナイフを突き立てる人が怖い。

それでも死ぬのはもっと怖い。

私は生きたい。まさか他人に「生きてほしい」と願う日が来るとは思わなかった。

他者の幸せを願うことが他者の生を願うこととイコールなんて知らなかった。

生きてほしい。

同じ時代を生きたい。生きてよかったと思いたい。だから一緒に生きたい。

 

だいぶやられてたんだなぁと痛そうな文章から思い出す。

咄嗟に、「聖、大丈夫かな」って思っていた。はっきり書くと、「死なないかな」。

私は彼の人生の一部しか見ることはできないけれど、それでも私が見てきた聖はとてもとても繊細で優しくて誰よりも他人思いだ。だからこんな時にこんなことになって、と、自分を責めたりするんじゃないかって思った。

 

私はようやく去年仁君のお仕事を自分の目で見ることができて、一区切り、なんて言いたくないけど(笑)、とにかく一つ自分の中で消化できたのだけど(これも亀梨くんがドームで呪いを解いてくれたおかげ)、やっとINKTのことも次は…と思っていた矢先だった。

彼が船を降りることになってからの出来事を全て見てきたわけではない。聖担のお姉さま方には遠く及ばない。

そんな私ですら、彼が大事にしているものがあることくらいわかっていた。

し、それが救いだった。

から、怖かった。聖が私が思う以上に自分の事責めるんじゃないかって。

 

生きて。

 

そんなこと、まさか願うことになるなんて。

 

 

それから、マスコミの低脳さにはもはやかける言葉がなかった。

下手すぎる伝言ゲームにはもううんざり。

ここに記すのもくだらないくらい、散々だった。

 

無神経だけど、本当に不謹慎だけど、でもちょっとだけ思うのは、

やっぱり私は聖が、それからKAT-TUNが、唄ったマスメディアへの挑発が大好きだ。

だから、もちろん経験しなくていいことではあったけど、「だからマスコミは!!!!!!」ってまた唄えたらいいな。

 

 

とにかく、聖は結局不起訴だったし、(不起訴の報道、明らかに少なすぎたから大声で言いたい)、聖もゆっくり休んでほしい。

最近弟君の野球で元気そうな聖が見かけられていて少し安心してる。

 

10周年にHappy B'dayって言ってくれたこと、それをすぐに消したこと、まだ記憶に新しい。

本当にあなたはばかだよ。

でもそんなあなたを最初の報道が出た瞬間から1ミリも疑えなくて、「優しすぎるがゆえに巻き込まれ体質なんだから人間関係には気をつけろって言ったじゃないか!!もう!!!」って泣き笑いしながら画面に向かって説教した私も相当ばか。

健やかに生きてね。元気な顔見せてね。次は会いに行くから。遅くなってごめん。