夢とジャニーさんと

腰に巻くだけのチェックのシャツを纏った。

何年振りだろう。00年代のKAT-TUNがよく巻いてたっけ。

窮屈に美を押し殺す喪服は必要ないと思った。
くすんだ真珠の首飾りも。

強さが美だと知った時から人生が変わった。

理不尽を睨む時も、古い傷を撫でる時も、大切なものを抱きしめる時も、強く在りたいと思えた。

羽織って寒さをしのぐためでもなく、ただ飾るためだけの布。

私の、勝手な、覚悟と信念が宿っている。

ジャニーさんがいないこの今日を生きて、私は私のショーを続けるために。



ジャニーさん。まだ近くにいますか。私は仏の道を知らないから何故四十九日こちらにとどまるのかわからないけれど、きっとまだ見て回ってるのだと思う。

スタジオや舞台の床にきらきら輝く、宝石の砕け散った粉の一粒一粒を。
スポットライトの真ん中で光る、不恰好だったはずの鉱石を。
世界に脈打つエンタメの極彩色を。

ジャニーさん、全部あなたのものです。



夢の見方を教えてくれた。

美しいものを「美しい」と言うこと。
美しいものを「美しい」と言う人が美しいこと。
美しいものを「美しい」と言う人を「美しい」と言うこと。
そういう幸せな連鎖が大好きになった。

美しいと感じることにもコツが必要で、上手く言葉にはできないけれど"自分の価値観を信じる"ことが大前提だと思う。

例えば私は何度SHOCKを観劇しても、ストーリーを諳んじて言えるようになっていても、涙を流さない回はないし、いつだって「美しい」と思う。
例えば私はKAT-TUNのツアーが始まる前でさえ「きっと今回のライブも美しいだろう」と自信をもって期待ができる。

誰かに共感されなくても、私はこれらが揺らぐことはないし、これは私がこれまでの経験で美しいと感じるコツ、自分の価値観を信じるコツを少しは身につけてきたからだと思う。

夢を見るにもコツがいる。
私は夢は「美しい」と思うのでわざわざこうした話を書き連ねてきた。
夢を見るというのは簡単ではなくて、なのに人生で何度も夢を見る。

例えば人を愛する時。
相手に夢を見て、相手と紡ぐ未来に夢を見て、相手に映る自分に夢を見て。

じゃあ夢から醒めてしまうのはどんな時か。
それはきっと、夢がずれてしまった瞬間だと思う。

ジャニーさんは素敵な夢を用意して、夢の見方を教えてくれた。

アイドルなんて消耗品で、使い捨てで、青い女の子がいつか振り返らなくなるその日までの幻だとされていたはずなのに、ジャニーさんは最初から最後までエンターテインメントに向かってアイドルを全速力で走らせてくれて、疲れて遅れた子の背中をそっと見守ってくれて、いつしかずっとずっと遠いところまで来た。
そんな彼ら__タレント一人一人を追いかけて走ったファンや通りかかった街中の人も連れて。

もっと俗なことを言えば、エンタメにお金を払うことを正しく教えてくれた人だとも思う。

お金を払ってチケットを買い、紙切れ一枚持って会場に行く。
ほんの数時間の、形に残らないその"時間"にお金を払うこと。

もしステージの上の誰か一人でも「やる気」がなかったら私達は『あぁ、馬鹿にされている』と感じるだろう。
たしかにジャニーズの演出は十何年ヲタクをやっても『わ、わからね〜〜!』と言いたくなるトンチキなものもある。

それでもそんなつぎはぎのきらめきがあまりに誠実だったから、私はお金を払い続けた。

夢を見てお金を払うなんて人間は面白いなぁ。生きるってなんだか楽しいなぁ。
不謹慎かもしれないけれど、今の私にそんな風に思わせてくれているのはジャニーさんに他ならないんだよなぁ……。


感謝という言葉に押し込めてしまうのも惜しいくらいの感情で、私なんかがありがとうと言うには足りないかもしれないけれど、これだけは書いておきたい。
ジャニーさんの夢で生きることができてよかった。です。

 

 

 

 



こんな文章をつらつら書いていたらちょうど聖がブログを更新して、初めて涙が出た。

なんでもないただの子供だった自分にステージの上という居場所をくれました。
夢をくれました。

 

ameblo.jp

 

夢、夢かぁ……。

優しくてあんなに不器用な彼が、全文書き写せそうなほど短い文章で綴ったことが、あまりにリアルで急に涙が止まらない。


たくさん迷惑かけたけど、なんて聖らしくてどれだけ泣いても済みそうにない。困ったなぁ。やっぱり私はこの男達に弱い。

 

どうかエンターテインメントが永劫鳴り響き続きますように。