誰かの神様であるということ〜ENDRECHERI2018
誰かの神様であるということ。
であるということが何なのか、それ以上の言葉を続けるのは難しいのだけれど、私はそう感じていた。
2018年6月7日のことだ。
誰かの神様なんだよなぁ。そう。誰かにとって彼は神様で、もしかしたら彼と彼の音楽や言葉は今この瞬間も誰かを救っているかもしれない。
私が漠然と感じる神様である、という感覚を無理矢理に説明するとしたら、
今、心の底から本当に本当に死んでしまいたいと思っていたとして。そんな時に「でももう少し生きようよ」と言われたら何も疑わずに生きてみようと思える人や物のこと
という感じ。
そんな対象があること、もしくはそんな存在で自分が在ること、どちらも尊いことだなぁと思うわけです。
何の話をしているのでしょう。
ENDRECHERIのライブの話をしているのですけどね。
OP-END RE CHERI
あの映像言い値で買うので売ってほしい。the!という雰囲気が詰まっていて、ケリーの世界に来たんだなぁと泣きそうになった。
1-HYBRID FUNK
音源で聴くよりずっとずっと生々しくてなんか変なホルモンが分泌されていく気がした。色気にやられていたんだと思う。
2~4-Muic Climber/Clystal light/YOUR MOTHER SHIP
音楽の濃度が高すぎる。本当にこのあたりでくらくらしてきて危なかった。
MC
5-去な宇宙
頭上から降りてきた三角のオブジェが印象的。
6-Believe in intuition...(Ba)
記憶がない
7-NIPPON
BPMがものすんんんんごく落とされていてキーも下げに下げられていて艶やかなアレンジだった。
MC
8-SANKAFUNK
私これずっとSANKAKUFUNKだと思っていた。みんなで頭上に三角掲げるのほーんと素敵な光景だったよ。時間を共にする、って感じが、ね。私普段はそんなにみんなで一緒にやりましょうっていうのが好きではないんだけど(それぞれ好きなように楽しもうよっていうスタンス)、この時は多幸感に飲まれた。
9-舌VENOM
単純に曲が好きなんだけど、生で聴くともっともっっと鋭利で残酷に聞こえた。言葉がアレだけど、傷口みたいな。
10-Ancient fish
ステージにいる人全員が音楽を楽しんでるなぁ!と。単純だけどそれが一番こっちも楽しくなるよね。
11-BlueBerry~shamanippon
これまたムーディーなアレンジでたまげた。特に「そんな風には思えないが」で下るところ。
12-Chance comes knocking
記憶喪失
13-シンジルとウラギル
信じられないくらい泣いた。基本的には歌詞なんてほとんど聞き取れないんだけど、この曲の「もういいよ」だけは痛いくらいに耳に入ってきて、もうびっくりするくらい泣いた。
En1-PINK
やっぱり動きながら歌うなんて当然無理しているんだよね。この大事な大事な曲だけは本当に1ミリも動かずにマイクを握りしめて目を閉じて抱きしめるように歌っていた。
En2-(session)
何処かの公演のレポで9時にブレーカーが落ちて止まったっていうほんわか面白エピソードを読んでしまったせいで9時越えたときには笑ってしまった。よかったね。
あのー、全然言葉になってないんですよ。御察しの通り。
なので本当は記事書くのやめようかななんて思っていたんですけど、今しか書けないこともあるよなと思ってとりあえず暫定で書くことにした。
書くことがないんじゃない。書きたいことは星の数よりあるのにそれを形容できない。
今回は冒頭の「神様であること」と「許し」の話だけ書いておきたい。
まず神様であること。
私は剛さんを神様にしなくてよかったなと思っている。矛盾しているようだけど、私にはとてもじゃないけど抱えきれない大きな愛が彼にはあると思う。
私は幼少期にKAT-TUNに出会って彼らを神様に据えた結果、いつも心の中で拳銃を構えているような人生になったけれど、彼は真逆で。
それはそれでまた素敵な経験や体験、感情をもてたと思うけれど、もうここまで生きてきてしまったので私にはもうできないような気がしている。
それでもやっぱり彼に救われているのも事実で、なんだか複雑な心境になった。
とにもかくにも私はライブ中「神様であること」に考えを巡らせていて、これからもそんな感覚を大切に生きていきたいと思った。
「あなたは感受性が豊かだから」
なんて言われたこともあるけれど、そんなことないと思う。
神様なんてどこにでもいるよ。
そしてあわよくば私もいつか誰かの神様になれたらいいのに、なんて欲張っている時点でなれそうにないな。
次。
「許し」
許しの話をするなんて本当は全然覚悟が足りていない。
私が敬愛している演出家の蜷川幸雄さんだって作中の許しの演出は生涯何度も変化しているし、時代や世界によって本当に無限の解釈がある概念だと思う。
だからほんの数十年生きただけの私なんかがとやかく言うには大きすぎる話な気もするけれど、とりあえず今私が感じることだけを書いておく。
許す、っていうのは、何かを好きになる、何かを嫌いになる、そのどちらよりも難しいような気がする。
それは自分自身に起きたことを許すのもそうだし、例えば愛する人に起きたことを許すのもそう。まぁ厳密に言えばこの二つは同義とも言えそうだけれどその話はまた別の機会にするとして。
私が剛さんのことを考える時に一番頭の中で鳴り響くのが、
「今日は逝くにはちょうどいい日だな」
という歌詞。
私は初めてこの歌詞を聴いた時のことを二度と忘れることはできないと思う。
愛する人に、
生を手放そうとしたことがある人に、
それでも自分を愛して生きることを選んだ人に、
「今日は逝くにはちょうどいい日だな」
って穏やかな声で歌われて、
私は本当にこの世界を許せるのか悩んだ。
それに匹敵するくらいシンジルとウラギルの「もういいよ」も辛くて。
繰り返すことになるけれど、私の神様はKAT-TUNなので、私はこの世の全員が忘れ去ろうとも自分だけは受けた傷を風化させないで生きたいと思っている人間で、それこそ宗教上の理由、って言葉が一番しっくりくるような感覚で「許し」が苦手なのかもしれない。最近はだいぶ穏やかにはなったけれど。
だからかな。
難しいね。生きるって。許すって。
でもさぁ、めーーーーちゃくちゃ自分勝手なことを言うと、許されると本当に救われるんだよね。
何の記事を書いているのか本当にわからなくなってきた。
おまけでもうひとつだけ。
私が見た景色、「死越しの宇宙」って感じがした。「レンズ越しの宇宙」みたいなニュアンス。
私、「ライブはセックス」という言葉が大好きなんですけど、極論を言えばセックスは死に少し近いし、音楽もそう。私にとってはね。
だからステージに立つ剛さんは本当に命を削っているという感じがしたし、それは光一さんがSHOCKで毎回全身全霊でコウイチを生きて死ぬのと似ていた。
二人とも生き急いでないかな。不安になるけどその姿が好きなんだからおたくなんて結局そんな生き物。
なーんかやっぱり全然言葉にできないな。
まぁいいや。また整理できたら書く。